【オリラジアカデミー】禁断のテレビ史①【自分なりにまとめてみた】

オリラジアカデミー『禁断のテレビ史』 書籍・動画の感想&紹介
オリラジアカデミー『禁断のテレビ史』

授業内容『禁断のテレビ史』1-②

1960年代~視聴率の闇と、その闇を覆い隠す東京五輪の光

 視聴率を調べる会社のこと、知ってますでしょうか。

ワン親方
ワン親方

テロップとかで見たことあるな。

ビデオリサーチ調べ、とかなんとか

 そう、それですね。
 でもじゃあ、「なぜ視聴率を調べなければならない」のでしょうか?

ワン親方
ワン親方

え?

ううん……と、視聴率で競争させたら番組の質が上がるからか?

 たしかに。その可能性もありますね。競争すると質が上がります。

 しかし視聴率という数字そのものを欲しがっている人たちがいたんです。

それが……広告です。

ワン親方
ワン親方

あっ、そうか!

どの番組が見られているかで広告の打ち方変わるもんな

 そうなんですよね。より人気の番組の方が広告を打つ効果が高いのは当たり前ですね。当時は一家に一台か、それもないのが当たり前の時代だったので一つの番組に打てば家族全員に届くのでとても効果的だったでしょうね。

 ただもちろん、その数字を一般にも公開している理由はわかりませんけどね。
 エンタメのためだったかもしれませんし、ワン親方のおっしゃる通りだったかもしれませんし、ビデオリサーチ社を作るきっかけとなったアメリカの調査会社ニールセンの戦略が公開型であったためにそれに対抗したのかもしれませんし……。

ワン親方
ワン親方

ニールセン?

 この時には進出していたらしく、ビデオリサーチ社はニールセンに対抗して電通が主導となって作られたそうです。
 対抗してすぐに作ろうとした理由の詳細は不明ですが、自分たちにとって少しでも『優しい数字(テレビは人気がありますよー)』を出したいからではないか、と言われていたそうです。ここは確定されていませんでした。

 しかしはたから冷静に見ていると、電通やテレビ局という調べられる側が調べるための組織を作る、というのはどうなんだ? と、思ってしまいますね。
 当時ももちろん疑問を感じる人達もいたそうなんですが、ニールセンとビデオリサーチ両方と契約を結んだりでなんとかごまかしてきたようです。

 しかもこのあと1964年には東京オリンピックがやってきて、いよいよテレビが普及します。しかもカラーテレビも出始めたようです。

ワン親方
ワン親方

あ、そっか。昔は白黒なんだもんなぁ

 はい。カラーテレビはまだまだ高額だったみたいですけど、白黒は割りと当たり前みたいになってきたみたいですね。

 この時のスターであり、国民的歌姫が……『美空ひばり』さんです。

 東京五輪では柔道が初めて正式な競技となったらしく、この時(1964歌われた『柔』という歌は大ヒットしたようです。
 申し訳ないですが、私はこの歌知らなかったんですけどね。

 五輪が来て、歌姫が現れて……しかも日本経済は世界でも有数のものとなります(GNP世界第2になったのが1968年)。

ワン親方
ワン親方

GNP? GDPじゃなくてか?

 コレに関しては内閣府のHPにわかりやすい解説が載っていました。

GDPは国内で一定期間内に生産されたモノやサービスの付加価値の合計額。 “国内”のため、日本企業が海外支店等で生産したモノやサービスの付加価値は含まない
一方GNPは“国民”のため、国内に限らず、日本企業の海外支店等の所得も含んでいる

以前は日本の景気を測る指標として、主としてGNPが用いられていたが、現在は国内の景気をより正確に反映する指標としてGDPが重視されている。

内閣府ホーム > 内閣府の政策 > 経済社会総合研究所 > 国民経済計算(GDP統計) > よくある質問(FAQ) > GDPとGNI(GNP)の違いについて(https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/otoiawase/faq/qa14.html)より

 とにかくこの年に、日本が経済大国となったわけですね。

 日本は豊かになっていき、テレビ番組は豪華になっていきます。

  • 1968年夜のヒットスタジオ
  • 1968年8時だヨ!全員集合 + 大阪万博

 ただスポーツを撮るだけだった時代とは明らかに変わってきています。

ワン親方
ワン親方

ドリフが出てきたのってここからなんだなぁ

 ここからテレビは右肩上がりに調子が良くなっていきます。

1970年代~テレビVS映画に決着――勝者は頂上へと向かっていく

 さて、ここで思い出さないといけないのがテレビと映画がバチバチに競っていた、ということ。6社協定というものがありましたね。

 1971年……その6社の一つである大映が経営破綻します。

ワン親方
ワン親方

うおおおおっ破綻しちまったのかぁっ

 さらにあの石原裕次郎さんの日活も、一般映画から撤退してロマンポルノという方面へとかじを切ります。――ちなみにその以前には本社ビルをしていたそうです。

 これはつまり、広告主たちが映画から離れてテレビの広告枠を買い始めた。テレビの方が広告の効果があると思うようになったということですね。

ワン親方
ワン親方

各家庭に一台あっていつでも見れるテレビと、

映画館でしか流れないんじゃ、そうなるか

 広告主の立場で考えて、より多くの顧客に知ってほしいとなったらどちらがよりコスパが良いかというと……ですね。
 もちろん、映画が今なくなっているということではありませんから、映画の素晴らしさが失われたわけでもないですが、企業が映画にお金を出す意味合いが大きく変わってきた、ということなんでしょうね。

 私は映画をあまり見ませんが、良い作品を見た後に企業名が流れてくると印象に残りますしね。

ワン親方
ワン親方

良い作品ありがとう!

て思うよな

 動画内ではここで「じゃあラジオはどうなったのか」という話になります。ラジオは深夜ラジオがヒットするんです。
 これはテレビの面白い番組がやっていない時間を使った、ということです。

 大通りは新しい王者のテレビに譲りつつ、ちゃんと自分の新しい居場所も見つけたんですね。だからこそラジオ文化は今もなお生きているんでしょうね。

 さらに時は流れ、1973年には電通の広告取り扱い額世界一位になります。

ワン親方
ワン親方

嘘だ!

世界で一位はアメリカだろ!

 思いますよね。私もそう思ったんですがからくり聞いて納得です。

 というのも、電通はトータルプロデュースかつ、日本の広告のすべてを独占していたから、です。当時は世界第ニ位の国です。そんな経済大国のテレビ広告を牛耳れば当然と言えば当然でしょう。

ワン親方
ワン親方

たしかに……けど、独占って良くないイメージがあるなぁ

本当に他の会社はいないのか?

 博報堂さん、というのが電通さんの次に来る広告会社さんらしいですが、その売上は4倍以上の開きがあるそうです。
 詳しい人からすると、電通が一社独占していないように見せるイメージ戦略である、そうです。

 そんなテレビ(電通)の好調は続きます。

 新たな歌姫、『山口百恵』さんが誕生し、74年にはカラーテレビの普及率が90%。もうわざわざカラーとつけなくなったような時代になります。

 白黒テレビが普及した東京五輪が64年で、この時はカラーが高価で一般の人は買えなかった。それがわずか10年で当たり前のものとなったわけですから、凄まじい経済成長ですね。

 ちなみに三種の神器に代わり3Cという言葉が生まれます。カラーテレビ、クーラー、カー(車)。

 言葉の違いからも豊かになっているのがわかりますね。

 1978年のザ・ベストテンでは、あちこちに中継をつなぎ、豪華なセットや場所を借りてど派手に歌っていた……お城を借りて、みたいなこともおっしゃられていましたが今からすると信じられないですよね。

 それだけ景気がいいんですね。景気が良いまま、80年代に入ります。

 そう! 次の時代こそがテレビの頂上です!

1980年代~BIG3とG5――スーパースターのその影で……

 70年代の歌姫であった山口百恵さんが引退し、代わりに誕生した歌姫が松田聖子さん。

 そして1981年に『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)。私も名前だけは聞いたことがありますが、ここでビートたけしさん、明石家さんまさん、島田紳助さんが登場。

 さらにさらに!
 1982年には『笑っていいとも!』(フジテレビ)が始まります。森田一義こと、タモリさんですね。

 BIGと言われる人たちが揃うわけですね。

 テレビがお祭りに湧いている中、日本経済にピンチが訪れたのが1985年の『プラザ合意です。

ワン親方
ワン親方

なんだそれ?

 よくわからないですよね。私も名前だけは聞き覚えあったんですが、説明しろと言われてもちんぷんかんぷん。

 中田さんがわかりやすくお話してくださっていましたが、プラザホテルにG5(米、独、英、仏、日)が集まって決められたものです。
 当時、日本円はドルに対して固定相場でした。360円/ドル。とてつもない円安です。

 この円安であったことで日本はアメリカにものを売る際にすごい儲けが出ていたのですが、儲けが出すぎた……アメリカより日本のほうが儲かるようになったわけです。

ワン親方
ワン親方

おっ、聞いたことあるぜ!

貿易摩擦ってやつだな

 さすが親方! まさしくその通り! そしてそのせいで、アメリカが怒ってしまったわけですね。

 日本としてはプラザ合意はしたくなかったわけですが、逆らうことはできません。かといって、指をくわえて放置できる問題でもないわけです。
 急激な円高の影響で輸出に悪影響が出れば日本経済は悪化します。

 そこで金利を下げるわけです……お金を借りやすくしてみんなにビジネスをしてもらって経済を回そう、という考えですね。

 この政策が効きすぎてしまい、地価が異常に上がり続けるといういわゆるバブル経済に突入するんですね。

 バブル期のアイドルはおニャン子クラブで、1988年にとんねるずの『みなさんのおかげです』がはじまるわけですね。

ワン親方
ワン親方

うっ、うっ、で、でもよ。

バブルってたしか……は、はじけ

 そう。泡ははじけて消えてしまうんです。1991年に、バブル経済は崩壊。

 あのダウンタウンの「ごっつええ感じ」が始まる年のことでした。

 失われた30年と言われる平成はすべてが不景気だったそうです。

ワン親方
ワン親方

えっ?

30年間ずっとか!

 そして、番組は後編へと続きます……この記事も、長くなったので後編へと続きます。

ワン親方
ワン親方

ここで終わりかよ!

まとめ

 今回のざっくりまとめ。
↓時代とお金の流れざっくり図↓

時代とお金の流れ。テレビの隆盛とバブル
【自しん工房】時代とお金の流れ。テレビの隆盛とバブル

 本当にざっくりとした図ですが、なんとなくのイメージはつかみやすいかなと。

 パーティ状態だった70~90年。番組のロケ先、セットは豪華絢爛。

ワン親方
ワン親方

たしかに豪華そうだけど、今ってそんなにみすぼらしいのか?

イメージないなぁ

 ああっさすが親方! いいところに気づきますね。そこが面白いところなんですが、また次回に!
 私ももうちょっと動画見て学んでしっかりとまとめたいと思います。

 では、長々とお付き合いくださってありがとうございました!

ワン親方
ワン親方

うぅ、気になるぜ。

できるだけ早く会おうぜ!

まったなー!

※後編できました!>>


 こんなにも面白い授業が聞けるのはコチラ!
●『中田敦彦のYouTube大学』
【禁断のテレビ史①】メイキング
●『藤森慎吾のYouTubeチャンネル』
【禁断のテレビ史②】

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