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【元引きこもりと学ぶ日本史②】知識をつけて自信をつけよう!【弥生時代編】

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Dariusz SankowskiによるPixabayからの画像

 どうも銀づちです!

 最近散歩をする時は、神社を通るようにしています。

 神社に生えている木は街路樹の物とは違い、もっと年代を感じ、いつからここにいるのだろうかと思いをはせることがあります。

 さすがに数千年ということはないでしょうが、人間たちの変化を、歴史を見守ってきた木々は、人間のことをどう思っているのでしょうね。

 さて、ということで『歴史のお話』をしていきたいと思います。

 当ブログの真なる目的は『様々な要因で自身と自信を失ってしまった人たちに、それらを取り戻してもらう』ことです。
 じゃあなぜ歴史の話なのか、というと。

 歴史の知識って、自しん(身・信)の形成につながりそうだな。

 と思ったからです。

 だって知らない、より知っていると安心感がありませんか? 知っていることが自信になりませんか?
 そもそも知らないものって、どことなく恐くありませんか?

ワン親方
ワン親方

知っても怖いものは怖いけどな!

対処はまだしやすくなるだろうぜ!

 これから一緒に日本史を学び「あ、これ得意かも」と思えたならばそこを伸ばしていきましょう
 不得意かな、と思っても不得意だということを知れたのなら他のことを学んでいけばいいだけですし、少しでも不得意なことを学べたことは無駄になりません。

 学べたことで、会話の種にもなってコミュニケーション取りやすくなるかもしれません。

 ちなみにシリーズとなっております。興味が湧いた方はそちらの記事もご覧ください。

時代名 旧石器・縄文弥生
シリーズ番号この記事
【初心者が語る日本史】 シリーズ一覧
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【元引きこもりと学ぶ日本史②】知識をつけて自信をつけよう!【弥生時代編】

稲作
Photo by Sergio Camalich on Unsplash

 弥生時代と言えば稲作ですね。米食の始まり。
 そして米作りによる戦いの歴史の始まり。そして文字として様子が伝わり始める時代でもあります。

 そんな特徴を捉えるため、4つに分類して書いて行こうと思います。

  • お米が生み出したメリット、デメリット――食料不安の解消、身分差の誕生、戦いへ
  • 戦いの歴史――金属器の到来、戦い方(武器、環濠、土塁)
  • 変化した文化――建物(倉庫)、土器、儀礼、信仰、墓
  • 歴史書デビュー――漢書「地理史」・後漢書「東夷伝」 + 日本の文字
ワン親方
ワン親方

まずは米という大きな話題を取り扱って、

そこから細かく見て、最期はやや離れた視点で見るのか。

 はい。そうやって全体像を把握しつつ、ちょこちょこ私が調べた情報も入れていきたいと思います。

お米が生み出したメリット、デメリット――食料不安の解消、身分差の誕生、戦いへ

 米作りと言うと、水路があって綺麗に整備されていて、一斉に穂を垂れて、というのがイメージに上がるかもしれません。
 しかし昔はそうではありませんでした。

 最初は湿田、湿地に作られました。水路を引く必要がない場所ですね。
 そして水路を引いての乾田へと移行します。

 また、最初は生育もまちまちだったため、今のように一斉に刈り取るということができません。そのため穂首刈りでの収穫でした。
 この穂首刈りというのは、収穫できる稲一つ一つを石包丁で手作業で摘んでいくというものです。

ワン親方
ワン親方

ちまちまと?

カマみたいなのでがっさりいったんじゃねーの?

 弥生時代後期に苗を育成し始めての田植えが誕生しますが、それまでは直接種を植えていたため、収穫もかなり手間がかかっていたようです。

 それでも行い続けたということは、狩猟採集よりも効率が良かったのでしょうね。

 ちなみに古代米というものが今も売られているので食すことができます。さすがに弥生時代のものとは異なるみたいですが、今の白米より栄養価が高く健康的に良いとのこと。
 気になった方は頼まれてみてはいかがでしょうか。栽培が大変みたいでちょっとお高いですけど。

メリット――肉・魚より長期の保存が可能。食料不安の減少。

 手間がかかる稲作作業ですが、なんといってもここが大きなメリットでしょう。
 お米も腐らないわけではありませんが、肉や魚よりもはるかに長持ちですし、より計画的に食料の保存ができるようになります。

ワン親方
ワン親方

計画的にってのは?

 自然に左右されるとはいえ、ただの採集よりも自分たちで栽培した方が計画が立てやすい、ということです。

 今まではその日のことだけを考えていた人々が、農耕の計画を立てるために未来のことを考え出した。
 時間感覚の変化をもたらしたのが農耕ともいえます。

 時間間隔の変化が良かったのか悪かったのかは一概に言えませんけども。

デメリット――米の貯蔵量による貧富の差。米を奪い合う戦いの開始。

 お米、食料は昔の人たちにとっての資産(お金)。それをたくさん持っているかどうかで周囲との差が生まれ、貧富の差になっていくというのは、なんとなく理解できますね。

 そして奪い合い……その奪い合いがどんどんと大規模なものへと発展していく。

 戦略や戦術がどの程度存在したのかは不明ですが、明らかな殺傷人骨がこの時代から多数出て来たのは事実です。

戦いの歴史――金属器の到来、戦い方(武器、環濠、土塁)

 道具もさらに進化をしていきます。農具、工具には鉄器が使われ始め、当然戦いのための武器にも金属が取り入れられます。

 武器の種類は至近距離の短剣、近距離の刀剣類、遠距離の弓矢。これら3種のものがどのように戦いに使われたのか、殺傷人骨から推測されている論文を見つけました。

見やすくするため、こちらにて改行を入れさせていただいております。

 研究の方法としては「殺傷人骨」を主な資料とし,「武器」と「殺傷人骨」との関係から,弥生時代における対人殺傷方法の型式的な分類を行う。
先ず「武器」を至近距離戦用武器(短剣),接近戦用武器(刀剣類),遠距離戦用武器(弓矢)の3種に大別する。

(中略)

 特に弥生時代前半(早期~中期)は短剣による(背後からの)殺傷や,弓矢による(側・背後からの)殺傷などが多く,数人単位の戦闘が主であると考えた。また,矢合戦や暴力的儀礼(殺人)の可能性も指摘した。
 これに対し,弥生時代後半の殺傷人骨には,鉄剣や鉄刀などが想定される鋭利な殺傷痕跡や遠・近距離武器複数の殺傷から「まず矢を射て,最後に剣で止めをさす」といった戦闘が考えられた。

(中略)

 特に中期末~後期には激しい「集団戦」の比重が高まると想定した。
 これらの変化には政治力・動員力の確立や,金属器の流通といった社会的な背景が想定され,弥生時代の戦闘は単なる「戦い」から「戦争」へと移る過渡的な「未開戦」段階にあると評価した。

「弥生時代の戦闘戦術」藤原 哲 ~J-STAGE~より(https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonkokogaku1994/11/18/11_18_37/_article/-char/ja/)
ワン親方
ワン親方

……ようするに?

 最初は数人単位での戦闘だったのが、段々と大規模な戦争へと移り変わっていっている、ということですね。

 そんな戦いから身を守るために濠(ほり)や土塁(どるい。土の堤防)が作られ始めます。

 佐賀県の吉野ケ里遺跡(よしのがり・いせき)や奈良県の唐子・鍵遺跡(からこ・かぎ・いせき)などはかなりの規模の環濠集落です。
 そういった強大な集落は周辺の集落を従えて、クニと呼ばれる政治的なまとまりを持ち始めるわけですね。

 ちなみにこの時代のことは「漢書『地理史』」にわずか19文字ですが記述が残っています。たくさんのクニが存在していた日本全体のことを「(わ)」と記され、100もの小国があったそうです。

 今よりも人が住める範囲が狭かっただろうことを考えると、かなりの数に思えますね。

変化した文化――建物(倉庫)、土器、道具工具、儀礼、信仰、墓

 戦いだけでなく、生活にも変化がたくさんあります。

建物――高床式だけではなかった?

 住居に関しては縄文時代に引き続き竪穴住居に住んでいたと推測されています。
 ですが食料を保存する際、湿気やネズミの被害を避けるために『高床式倉庫』が作られ始めました。
 ただ、実は平地式倉庫、も数が少ないながら存在するようです。

ワン親方
ワン親方

昔は「高床式住居」って教わってた気がするぜ。

 そうですね。私の頃もそうでした。

 こうやって変化していくのも歴史の面白いところです。

弥生土器・鉄器

 縄文では縄文土器でしたが、土器にも変化が。

 料理に使うための土器、盛り付け用の土器、貯蔵用のつぼ型土器など様々な用途の土器が登場します。縄文土器は底が不安定な形でしたが、そこが大きく変わっております。
 この変化は米の栽培による食の変化も表しているのでしょう。

 美しい光沢をもつ青銅器もたくさん見つかっています。
 ただ青銅器は壊れやすいため、実用品というよりは信仰。神へのささげもの、儀礼用と考えられます。

 実用品である農具や工具には鉄が用いられるようになります。
 最初は木の鍬や鋤で作業していました。道具としては軽かったかもしれませんが、土を耕すのは大層大変だったでしょうね。
 弥生時代中期から先端に鉄製の刃がついたものが使われ始めました。

ワン親方
ワン親方

鉄の方が当然重たいだろうが、丈夫だしよく土を耕せただろうな

 初めて鉄器を使った人はすごく驚いたかもしれませんね。

信仰――稲の精霊信仰

 縄文時代にあった精霊信仰の流れを引き継ぎ、弥生時代には稲の豊穣を祈る穀霊信仰と祖霊信仰が形成されてきます。

 シャーマンがいて儀式というものがあって……なんだか怪しい雰囲気が漂いますね。

 鳥の装いをしたシャーマンの絵なども残っているそうです。
 詳しく見たい方は『弥生ミュージアム(https://www.yoshinogari.jp/ym/episode05/rites_1.html)』へどうぞ。
 この時代の家族単位のことも載っていてなかなか興味深いですよ。

墓の多様化→巨大古墳へ

 お墓は地域によって形も違ったそうです。

 しかし身分差が出てきたことか如実に分かるのが、墓の規模です。
 また、特別な墓の周囲には副葬品も多数存在し、祭祀が行われていたことが分かっています。

 貧富の差。権力の証として巨大になっていった墓……巨大な古墳が作られる古墳時代へと進んでいきます。

歴史書デビュー――漢書「地理史」・後漢書「東夷伝」 + 日本の文字

 日本が初めて文字として登場するのは残念ながら国固有の書物ではなく、外国の書。漢書「地理史」です。
 とはいっても、わずか19文字のちょい役としての登場です。

 名を「」と呼ばれており、100国もの小国があった、とそれだけの記載となります。

ワン親方
ワン親方

まじでちょい役じゃねえかああっ!

 仕方ありません。当時の最先端を走る前漢が海の向こうの小国についてそこまで詳しく知る必要もなかったでしょうしね。知るだけでもかなりの労力でしょう。
 むしろ、わざわざ海向こうの情報を得て、それを残していたのが凄いと思いますね。

 著者が「……まあ、いらねーか。この記述」と思っていたら19文字どころか0文字だった可能性もあるわけですからね。

 日本はこの後、しばらく歴史書から姿を消しますが、後漢書「東夷伝」にて再び登場します。

 国王
 というのは聞いたことあるかもしれません。東夷伝には「倭」の「奴国(なこく、なのくに)」の王の使者が後漢の都に行って光武帝から印綬を授かった、という記載があるのです。
 この印綬が福岡県の志賀島から出土した金印だろうと言われています。

 また、この50年後に倭国王の「師升(すいしょう)」という人物らが「生口(せいこう)」160人を皇帝に献上した、ともあります。
 この 師升 がなんという国の王だったかは不明です。
 生口というのは奴隷身分の人間と推測されています。
 日本にもやはり奴隷がいたのかと思うとなんとも微妙な気分になってしまいますが、160人を連れて行くだけの大使節団を送ることができた。それがこの 師升 という人物で、かなり有力な存在だったと判断できますね

 そして何より、文字として記載されているの日本人名になります。今のところ。

ワン親方
ワン親方

日本人っぽくない名前だな。

 当時の日本に文字はない、というのが今のところの有力説だと考えると、当て字かもしれません。ちょっとしたニュアンスの違いもあったでしょうね。私たちが外国の方の名前をカタカナで当てはめたりするような……。
 とはいっても、今の日本人の名前と比べたらまったく違いますが。

ワン親方
ワン親方

でも「ヒミコ」とかってのは今にも通じるところあるよな?

 卑弥呼が登場するのはさらに後の「魏志」倭人伝です。有名な邪馬台国の女王、ですね。
 中国史でいうと、三国志時代に入ります。

 たしかに響きだけで言うと「ヒミコ」とは今にも通じそうですね。次の女王、「壱与(いよ)」もそうですね。
 詳しく名づけについて知りたいですが、弥生時代で判明している名前は少なくて判断できませんね。

ワン親方
ワン親方

まあ、名前についてはそれくらいで。

やっぱりこの時代と言えば邪馬台国よな!

 弥生時代の代名詞でもありますね。

 そしていまだに正確な場所が分からないという謎と魅力にあふれた邪馬台国です。
 30余りの国をまとめ、呪術により治められていたこと。何よりも女王男の王では治世が安定しなかったと言われています。

 卑弥呼は魏の皇帝に使者を送り、親魏倭王の称号と金印や銅鏡を贈られています。
 もちろん邪馬台国からも貢ぎものがあったわけですが、これもまた 生口(せいこう) であったとウィキペディアにありましたね。
 やっぱり微妙な気分になりますが、この時代においては当然の貢ぎ物だったのでしょう。
 卑弥呼の使いとして難升米または難斗米(なしめ/なとめ)という大夫が向かったそうですよ。

 そして魏志倭人伝に載っている邪馬台国への行程が九州とも近畿とも読めるため『論争が起きている』のは有名な話ですね。

 私も興味があってどちらの説も見聞きしましたが、たしかに! と両者に納得がいきますし、納得がいかない点も両方にある。

 奈良県の纒向遺跡(まきむく・いせき)で銅鏡が多数見つかっています。
 この銅鏡に掘られた年号が魏国から贈られたとされている年代であること。さらに大きな建物群が見つかり、遺跡内にある箸墓古墳(はしはか・こふん)が卑弥呼が活躍した年代とピタリと合致したことからこの古墳が卑弥呼の墓だ、とする説も有力。

 とはいえ、魏志倭人伝に載っていた方角とは異なるのがネック。

 九州説では方角が合うものの距離が短すぎた……のですが、東京大学名誉教授の故・榎一雄氏が示した解釈によって解決。大規模な集落跡がないのがネック……が、吉野ケ里遺跡が見つかったことでそれも解決。

 どちらにも大規模な建物群があり、方角と距離が合致するのは九州。方角は合わないが年代が合う銅鏡などが多数見つかっている近畿。

 現代にいたるまで決着がまだ完全についていないというのが、面白いですね。

ワン親方
ワン親方

どちらか知りたい気もするが、このまま分からないままでいて欲しい気もするぜ!

 ちなみにこの邪馬台国についての話はノジュールさんを参考にさせていただきました。2021年1月号の内容です。ホームページより該当箇所を無料で読むことができますので、気になった方はそちらへどうぞ→https://nodule.jp/info/ex20210103/
 河合敦さんの連載記事は面白くて読みごたえありです。

日本に文字はあったのか

ワン親方
ワン親方

そもそも、日本で文字は使われてなかったのか?

文字があったら邪馬台国問題解決しそうだけどな。

 残念ながら弥生時代の文字はまだ見つかっておりません。

 ですが弥生時代に使われていた(すずり)が発見されています。

※参考:NHK「解説委員室」「文字の歴史がさかのぼる?」(くらし☆解説)https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/372037.html。コチラの記事は2019年08月01日に書かれたものです。

 発見されたのは平たい石なのですが、これは今まで刃物を研ぐ研石と思われていました。ですが石のすり減り方や加工の仕方が、砥石とは異なる特徴を持っていることから用途が違うのではと再調査されているそうです。

ワン親方
ワン親方

硯って習字で使ったけどな。

それ=文字、とはいえねーぜ?

 確かにその通りですね。墨で化粧したり模様を描いていた可能性もあります。
 ですが発見数が多いことから、今考えられているよりももっと早い段階で文字が使われていた可能性も出てきたようです。
 今のところ最古の文字は古墳時代。しかし文章では出土しておらず、一文字単位です。どういう意味で使われた文字かはまだ分かっておりません。

 弥生時代には金印にこそ文字があるもの、これは中国の王朝から贈られたものだろうとのこと。
 文字がなかったのだとすると、金印の文字も理解できなかったでしょうし、「なんだか金ぴかな凄いもの貰ったぜ」的な感覚だったのでしょうか?

ワン親方
ワン親方

やっほー! よくわからねーけど、いいもんもらったぜっ。

みたいなか?(笑)

 まあ外国とやり取りしていたわけですから、文字の概念はあったはずです。が、一般的ではなかったのでしょうね。

 もしも文字があったとすると、朝鮮半島との交易の際に文字が使われていた可能性も高くなります。
 取引に使うとなるとその記録や目録も必要になってくるでしょう。取引内容に間違いがあればトラブルの元です。
 全部頭に記憶、は基本無理ですからね。

 とはいえ、文字がまだ出て来ていないのは事実。今後、文字が出てくるのか。筆記具が見つかるのか。楽しみですね。

 ちなみに2020/2/1 の毎日新聞に「弥生時代『すずり』に最古の文字か 松江の田和山遺跡から 慎重な意見も」というタイトルの記事も見つけました。
 まだ確定ではないそうですが……わくわくしますね。

まとめ

 米によって生まれてきたものは多数存在します。長期保存のための器や倉庫、稲の精霊、米を守るための環濠や土塁、戦い。
 また、身分差の誕生により墓にも種類が出始めたのも弥生時代からです。これらの墓は後々巨大化していき、古墳時代へと続きます。

 米作りの歴史は戦いの歴史の始まりであり、日本の歴史の始まり、とも言われるのも納得ですね。

 また文字として日本が描かれ始めたのも弥生時代。しかし外国の書物によってであり、まだ自国の字で書かれたものは見つかっておりません。
 けどもしかしたら日本にも字があったかもしれない……そんなロマンが残っている時代でした。

ワン親方
ワン親方

文字がしっかり出てくるのはもう少し後だよな。

 ですねぇ。
 でもまあ、ハッキリと分からないからこそ面白い、ともいえますね。

 ということで今回は弥生時代編でした。
 次回は古墳時代に入ります。のんびりノートまとめながらなのでこのシリーズはゆっくり更新になると思いますが、またお読みいただけると嬉しいです。

 ではまた次の記事でお会いしましょう! ここまでお読みいただきありがとうございました!

ワン親方
ワン親方

今日も勉強お疲れさん!

またな!

初心者が語る日本史シリーズ、他記事は以下よりどうぞ。

時代名 旧石器・縄文弥生
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 今回の記事のメイン参考にさせていただいた書籍がこちら! とっても面白くてスイスイ読んじゃうのでお勧めです!

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