歴史知識を身につけて自信をつけよう!

【日本史の知識を身につけて自信をつけよう!④】古墳時代編

日本史の知識を身につけて自信をつけよう!歴史
日本史の知識を身につけて自信をつけよう!

 古墳という言葉は歴史の教科書で聞いたことがあるかと思います。場合によっては遠足などで見に行った、という方もいるかもしれませんね。

 私も小学生の頃、学校の遠足で見に行ったことがあります。

 こんなにも大きな墓を建てていた時代はどんな世界だったのでしょう。思考は? 生活は? 統治体制は?

 という疑問を解決すべく、今回も『歴史のお話』をしていきたいと思います。

 当記事は以下のような方におすすめです。本文はコチラから

  • 他の人よりちょっと得意な知識を身につけたい
  • 歴史は学生時代ちょっと得意だったから見直して知識を強化したい
  • 学生時代、歴史苦手なのがコンプレックスだったから克服したい

 私は自信がない方に知識を身につけることをオススメしています。不安を減らし、自信を築く土台になると思っているからです。

ワン親方
ワン親方

どういうことなんだぜ?

 たとえば自己紹介や自己アピールする時。自分の中で何か一つでも好き、得意で語れることがあれば堂々と話せるでしょう。
 普段から「自分には話せることなんて何もない。話題振らないで」と怯えることもありません。

「誰よりもとは言わないけど、普通よりは知っている知識」

 を持つことで、自分を少しでもめてあげられるようになるはずです。

 私自身の体験も含めて、知識と自信についての詳細は>>知識を身につけて自信をつけよう!で書いておりますので、良ければコチラもご覧ください。

 今回はそんな知識の一つ【日本史】についてやっていこうと思います。

ワン親方
ワン親方

歴史か!

俺っち、ああいうロマン感じるの好きだぜ。

 コンセプトは「 読んだ後、誰かに話したくなる知識」です。

 メインの「書籍の内容」+「私が調べた豆知識」も載せています。気になった方はご自身でも調べてみてくださいね。

 ちなみに当記事はシリーズとなっております。他の記事は>> 知識を身につけて自信をつけよう! 【日本史】よりどうぞ。

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【日本史】古墳時代編

 古墳時代を学んでいくにあたっての項目をいかに絞ってみました。

  1. 古墳の変化――規模、副葬品、意味合い
  2. 他国との関係――渡来人と生活の変化、朝鮮への出兵
  3. 制度――氏(うじ)と姓(かばね)で豪族を統率
  4. 倭の五王――『宋書』倭国伝。彼らは実在しない? 誰が誰?

 古墳の変化とは初期中期後期での違いです。

ワン親方
ワン親方

倭の五王は聞いたことあるぜ!

 古墳時代と言えば倭の五王――(さん)、(ちん)、(せい)、(こう)、(ぶ)が有名ですね。彼らを抜きには語れません。

 まだまだ謎が多い彼らの話も、ネット上で検索かけて面白そうな記述があったのでご紹介したいと思います。私自身が抱いた疑問もありますしね。

 ではさっそくいきましょう!

古墳の変化――規模、副葬品、意味合い

ワン親方
ワン親方

古墳の変化っ!

大きさ以外に何かあるのか?

 古墳時代の前期、中期、後期で古墳の規模もそうですが、一緒に備えられている品々、そしてそこから考えられる古墳の意味合い、あり方の変化が分かります。

 まず規模ですが、初期から中期にかけて大きくなります。中期が古墳の最盛期です。後期には古墳は小規模へと変化します。
 中期には百舌鳥・古市古墳群(大阪)があり、なんと100基もの古墳があったそうです。

ワン親方
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100!?

古墳ってただでさえデカいのにそんなにか!

 今現在は都市化の進展などで失われており、44基だそうです。それでも多いですね。

 そしてそんな中に、最大規模を誇る仁徳天皇陵古墳(旧大仙陵古墳)も含まれます。この古墳は世界で見ても最大規模です。

 続いて副葬品。これによってその墓に収められた遺体の人物がどういう役割を持っていたかが分かります。

ワン親方
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人物と副葬品に何の関係が?

 想像していただきたいですが、凄い強い国を築いた国王の立派なお墓があったとします。そしてそこに……トイレットペーパーやティッシュ、うまい棒なんかが供えられていたらどう思いますか?

ワン親方
ワン親方

いやしょぼっ!

もっと王様らしいものを供え……ああ、そういうことか。 

 そういうことです。

 初期の頃は埴輪(円筒型)、銅鏡、玉製品。呪術的な道具が納められており、権力者が司祭の役割も持っていたと推測できます。

 中期に入ると武具馬具が供えられるようになります。つまり武人という顔が強くなるのです。弥生時代から始まった戦争が活発になっていた、ということでしょう。
 実際この時、時の権力者が朝鮮に出兵しています。詳しくは次項で。

 後期に入るとなんと日用品が供えられるようになります。そして群集墳と呼ばれる古墳の密集が確認されます。
 つまり、民衆たちが古墳を作り始めるのです。もちろん、規模は小さいですし誰もが古墳を作れたわけではなく、有力な農民層と考えられます。
 そしてその構造も変化し、横穴式石室という、後から新たな遺体を追加できるものになります。

ワン親方
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古墳=権威の象徴

だったのが、民衆のステータスになったのか。

 ただ古墳、といっても規模以外にも副葬品や意味合いにこんなにも違いがあるんです。面白いですよね。

他国との関係――渡来人と生活の変化、朝鮮への出兵

 朝鮮からやってきた渡来人により、大陸の最新技術や文化が入ってきます。
 鉄器、須恵器(硬質な陶器)、機織り、金属工芸、漢字、儒教など。

ワン親方
ワン親方

字については前回の弥生時代でもやったな。

もしかしたら弥生からあったかもって。

 はい。まだまだ新しい発見がないと確定できませんが。……気になる方は>>【日本史の知識を身につけて自信をつけよう!③】弥生時代編をどうぞ。

 古墳時代からは字が発見されています。まだまだ文章、というものはございませんけども。

 そしてヤマト政権は鉄器を作る人たちを「韓鍛治部(からかぬちべ)」、須恵器を作る人たちを「陶作部(すえつくりべ)」とグループ化しました。

 漢字や儒教という学術も入ってきて、いよいよ文化的な国になってきましたね。

 と、朝鮮との交流をしている日本ですが、朝鮮半島へ出兵もしています。

 当時朝鮮半島では北部を高句麗。西を百済、東を新羅、南には伽耶諸国(小さな国々の集まり)がありました。
 というのも古墳時代の前~中期ごろは中国が分裂しており朝鮮半島への支配力が低下。そのため朝鮮半島ではこれらの国々が力を持つようになっていたからです。

 日本はこのうちの伽耶諸国に影響力を持っていた上に、百済とも比較的友好な関係を結んでいました。
 ですが高句麗は南下政策をとっており、百済や伽耶諸国が圧迫されると日本も困ることになります。

ワン親方
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そんなに困るのか?

 日本は伽耶諸国から鉄資源を得ていました。鉄が重要になってきている時代ですからね、それが途絶えてしまうのは困るのです。

 そこで百済や伽耶諸国とともに高句麗と戦うことになりました。

 日本が出兵したことが高句麗の好太王碑(こうたいおう・ひ)という石碑に刻まれています。
 直接高句麗と戦ったことで日本は騎馬技術を習得し、馬の育成を始めたそうです。

ワン親方
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騎馬戦術の発祥はここからなのか!

 かの有名な武田の騎馬軍は、この時の出兵がなければ誕生していなかったかもしれませんね。

 そしてこの朝鮮出兵は「よそに打って出る」ことができるほど、ヤマト政権の地位が安定していたことを表しています。

 自国内が不安定なのに他国に戦争なんてしかけられませんからね。

 しかしこの時もまだ他国の史料に残っているのみで日本に文字としての史料がないのは残念です。

 他国と交易していますし、字を理解できる人はいたはずで、残っていてもおかしくないと思うんですが……これは発掘・研究されている方の発見に期待しておきましょう。

制度――氏(うじ)と姓(かばね)で豪族を統率

 ヤマト政権が施行した制度に、「氏姓制度(しせいせいど)」があります。従えた豪族の統治に用いれらたものです。

 豪族たちには「(うじ)」と呼ばれている血縁関係を中心とするグループがありました。そこに「(かばね)」という豪族の地位や政権内の立ち位置を示す称号を与えたのです。

 蘇我氏に蘇我臣を与えた、とします。この意味は「蘇我の『一族』に『臣』という重要な立場を与える」ということです。

  • (おみ)――中央の有力豪族
  • (むらじ)――軍事・物の生産など特定の仕事を持つ豪族
  • (きみ)――地方の有力豪族
  • (あたえ)――地方の豪族
  • (オビト)――地方の小豪族

 この頂点にいるのがヤマト政権の「大王(おおきみ)」で、大王が豪族たちに姓を与えるのです。

ワン親方
ワン親方

ふーん?

 そういうことあったのかー、程度に思われるかもしれませんがこの制度には大きな意味が含まれる、と私は考えます。

 豪族たちはヤマト政権に押さえつけられる前は、言ってしまえば一国の王のような存在であったのです。だというのにその頭を抑えつけられ、地位や身分を大王によって支配されるようになったわけです。

 とある高校で不良の頭をやっていた少年が街に出かけてもっと強い大人に頭を抑えつけられ、「お前はあの高校周辺を抑えておけ」なんて指示をされるようになる、ような感じでしょうか。

ワン親方
ワン親方

分かるような分からないような……?

 中小企業の会社たちが、よそから来た大企業に吸収され、中小企業の人事のすべてを大企業に握られる、という感じでしょうか。
 今までは小さいながらも社長として社員たちの上に立っていたのが、吸収されて「お前今日から課長な」「平社員に降格な」と言われたら……?

ワン親方
ワン親方

辛ぇ、辛ぇよお。

 もちろん地位の向上につながる場合もあります。権威付けにもなりますしね。自称社長、ではなくあの大企業から一会社を任されていることになりますから。
 が、不満に思うものもいるでしょう。
 でもその制度は実施され、その後しばらく続きます。

 つまりそれだけヤマト政権が強大で安定していた』ということです。

ワン親方
ワン親方

あ!

だからこそ朝鮮出兵できたのか

 そういうことなのでしょうね。

倭の五王――『宋書』倭国伝。彼らは実在しない? 誰が誰?

 古代日本史の謎の一つに、『宋書』倭国伝に書かれた倭の五王――(さん)、(ちん)、(せい)、(こう)、(ぶ)がそれぞれ誰のことなのか、というものがあります。

 この中で武に関しては雄略天皇だろう、というのがかなり有力ですが他の王は多数の説があります。

ワン親方
ワン親方

武と雄略って名前、全然似てねーぞ!

どこが武王なんだ?

 一見すると雄略と武にはまったく関係なさそうですが、実はこの時代。天皇には諱(いみな=実名)がありました。

 そして雄略天皇には大泊瀬幼(おおはつせのわかたけ)という諱があるのです。
 武が入っていますね。

 面白いのがここからで、他の王たちについても諱や音、字の形からそれぞれ判断したり、それらを組み合わせて判断したり、はたまた中国の文献に史料としての価値が低いと判断したり、日本書紀から年代を判断したり、そもそも中国への派遣は天皇の事績ではないと判断する人たちがいることです。

 いろいろな学説から、あの人の解釈だとここにずれがあるからこうだ! いやいや、最新の研究で明らかになったこれはおかしい、などという話がされています。

 邪馬台国の場所の話と似ていますね。

 詳しく知りたくなった方は>>藤井寺市「倭の五王の比定1」よりどうぞ。専門性が高くて少々難しいのですが、とても興味深いですよ。
 他にも五王時代の記事がたくさんあって面白いです。

 まとめると

  • 讚=履中天皇・仁徳天皇・応神天皇
  • 珍=反正天皇・仁徳天皇
  • 済=允恭天皇
  • 興=安康天皇・市辺押磐(いちのべのおしは)皇子・木梨軽(きなしのかる)皇子
  • 武=雄略天皇
  • 讚、珍、済は允恭天皇、興と武は雄略天皇の代のことだが、これら五王の遣使は天皇の事績ではない

 といった説があるそうです。済と武は他の有力な説がないみたいですね。

ワン親方
ワン親方

しかしこの時代の名前ってややこしいな。

そりゃ中国でも略したくなるぜ。

 実際「お前らの名前なげーんだよ! 面倒だから略してやるぜ!」と思われたのかは分かりませんが、略されたおかげで今もなお論争が続き、誰が誰なのかとかを妄想できるロマンが残っているのです。

 だいたいこうだったろうけど、本当のところは分からない、というのが歴史の面白く興味深いところですね。

まとめ

  1. 古墳の規模・数は中期が最大。司祭・武人・庶民と墓の主が変化。
  2. 渡来人による鉄器や陶器がさらに快適に。漢字や儒教という学問も登場。中国の支配力低下により、朝鮮への出兵もあった
  3. ヤマト政権は氏(うじ)と姓(かばね)を豪族に与えられるくらいの権力を持っていた
  4. 倭の五王。今だに全員がはっきりしておらず、学説によってはそもそもいないという考えもある。
ワン親方
ワン親方

古代は分からないことが多いなぁ。

でも、だからこそワクワクするぜ!

 ですねぇ。

 今後、また歴史の常識が変わるかもしれませんし、新たな発見や解釈を待ちましょう。

 あらためてそんな分からないことが多い時代から天皇家が続いていると考えると、日本はすごいなって思いますよね。中国ではいくつも統一国家が生まれては滅んでいるのに、ですよ。

 さらにこの古代の楽しみ方としては古事記や日本書紀も読んでみる、です。歴史から見る天皇家とは違う顔が見えて面白いです。

 名前が複雑すぎてしんどかったりはしますけどね。

 ということで、ここまでお読みいただきありがとうございました。次の記事でまたお会いしましょう!

ワン親方
ワン親方

まったなー!

 今回の記事のメイン参考にさせていただいた書籍がこちら! とっても面白くてスイスイ読んじゃうのでお勧めです!

その他参考にさせていただいた資料・サイト一覧(敬称略)
百舌鳥・古市古墳群
>>『百舌鳥・古市古墳群とは
>>『 もず・ふるいちこふんぐん こどもQ&A(第6回)
藤井寺市
>>『倭の五王の比定1』

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