当記事は以下のような方におすすめです。本文はコチラから。
- 他の人よりちょっと得意な知識を身につけたい
- 歴史は学生時代ちょっと得意だったから見直して知識を強化したい
- 学生時代、歴史苦手なのがコンプレックスだったから克服したい
私は自信がない方に知識を身につけることをオススメしています。不安を減らし、自信を築く土台になると思っているからです。
どういうことなんだぜ?
たとえば自己紹介や自己アピールする時。自分の中で何か一つでも好き、得意で語れることがあれば堂々と話せるでしょう。
普段から「自分には話せることなんて何もない。話題振らないで」と怯えることもありません。
「誰よりもとは言わないけど、普通よりは知っている知識」
を持つことで、自分を少しでも認めてあげられるようになるはずです。
私自身の体験も含めて、知識と自信についての詳細は>>知識を身につけて自信をつけよう!で書いておりますので、良ければコチラもご覧ください。
今回はそんな知識の一つ【日本史】についてやっていこうと思います。
歴史か!
俺っち、ああいうロマン感じるの好きだぜ。
コンセプトは「 読んだ後、誰かに話したくなる知識 」です。
メインの「書籍の内容」+「私が調べた豆知識」も載せています。気になった方はご自身でも調べてみてくださいね。
ちなみに当記事はシリーズとなっております。他の記事は>> 知識を身につけて自信をつけよう! 【日本史】よりどうぞ。
温暖化で大型哺乳類が絶滅した完新世(縄文時代)
縄文時代の特徴を以下のポイントから探ります
- 旧石器時代との違い――気候の変化と生活への影響
- 信仰(アニミズム)――あらゆる『自然現象』に霊魂が宿る
- 稲作はいつ始まったのか――実は縄文時代でも育てていたっ?
旧石器時代との違い――気候の変化と生活への影響
縄文時代では気温が上がり、大型哺乳類。かの有名なマンモス(北)、ナウマンゾウ・オオツノジカ(南)などが絶滅してしまいます。
うおおんっ食べ物がなくなったじゃねえーかああっ。
安心してください。その代わりに小動物が増加します。ニホンシカ、イノシシなどですね。
他にもブナやカシなどの食べられる実をつける植物の森林が広がっていったので、祖先はそれらを食べるようになります。
道具
こうした変化は当然道具にも影響します。
小型の獲物をしとめるならば、すばしっこいので『弓矢』が有効になります。
マンモスとか大きな奴に弓で安全策の方が……そうか。
デカすぎるからちまちま弓撃っても、とかがあるのか。
縄文時代で弓矢の使用が始まる、と記載あるのでおそらくそうなのでしょうね。どう考えても足の速いシカやイノシシを人間が足で追いかけて槍で仕留めるのは困難です。
投げ槍は可能かもしれませんが、弓矢の方が効果的でしょう。
そしてもうひとつ有名な道具が『土器』ですね。いわゆる『縄文土器』です。
低温で焼かれており、厚手で黒ずんだものが一般的です。また、まだまだ強度は低かったようですね。
地域性があったり、全部に縄目があるわけじゃねーんだよな。
俺っちは『火焔型土器』が好きだぜ!
分かります。あの火焔型土器は実用的とは言い難いですけど、魅力にあふれていますよね。
しかしなぜかこの火焔型土器の出土は『新潟県内の信濃川流域』に集中しているとのこと。この点も謎で面白いですね。
また、石をこすって鋭くさせた『磨製石器』が使われ始めるのもこの縄文時代です。
とはいえ全部が磨製石器ではなく、打製石器は矢じりや肉を切り裂くためのナイフとして。磨製石器は斧にして木を切り倒したり、木の実をすりつぶしたりするのに用いるなど、用途に応じて使い分けていたようです。
動物の骨や角で作った『釣り針(※骨角器―こっかく・きの一種)』もあったみたいです。
※骨角器:釣り針の他には銛、針、ヘラ。クシ、カンザシ、腕輪などの装飾品も存在。
食事
釣りまでしてたのか!
肉・魚に木の実……割と食事は種類があったんだな。
たしかにあまり魚を食べているイメージありませんね。生肉とか焼いた肉にかぶりついているイメージです。
さらにいうと、一部の集落ではクリやクルミの栽培も行われていたことが判明しているそうです。
栽培まで!
もっと後の時代からかと思ってたぜ。
まだ農業と呼べるほど本格的ではなかったでしょうが、多用な食糧を以前よりも獲得できるようになったのは間違いないですね。
木の実のアクを抜くためとはいえ土器で煮る、という調理方法も加わっています。旧石器時代でもお肉も火を通していたようなので、ならば魚も焼いていたでしょうし、結構グルメだったのかもしれません。
住居
温かい気候になったこと。そして土器という貯蔵できる器が誕生したことで、『定住』することが可能になったのも縄文時代からです。
竪穴式住居についての記事で現代に当てはめた面白い記事を発見しました!
『現代に生きる竪穴式住居? 四本柱の邸宅にお邪魔してみた』(suumoジャーナルより)
前半では現代の家の取材。後半では東京都立埋蔵文化財調査センター「縄文の村」を訪ねて柱についての考察が書かれてあったり、住居の外観や中の写真も有るので気になった方はご覧ください。
一つの集落の人口はだいたい20~30人程度と見られます。
ただ、青森県の三内丸山遺跡(さんないまるやま・いせき)は数百人規模の痕跡があり、ところどころに大きな集落があったようです。
数百人規模となると、誰か束ねる人が必要な気もしますが……どうなのでしょうね。
縄文人が食べた貝殻などのゴミ捨て場の痕である貝塚などの痕跡も海岸沿いに見つかっています。
信仰(アニミズム)――あらゆる『自然現象』に霊魂が宿る
この時代の人々の暮らしは自然環境に大きく影響されます。
まあ、今でも左右はされるが、この時代ほどじゃねーわな。
なので『あらゆる「自然現象」に霊魂が宿る、という原始的な信仰=アニミズムが誕生した』のも納得できますね。
呪術によって災いを避け、自然の恵みを得ようと必死な時代。
それゆえに女性をかたどったと言われる『土偶』や男性の象徴である『石棒』は、自然の恵・集団の繁栄を祈ったものと考えられているわけです。
ここらへんは本当にそうかは分からねーんだよな。
それもロマンだぜ!
この時代は文字がありませんし、タイムスリップでもしないと本当かどうかは分からないでしょうね。
信仰と言えば、縄文時代の死者の埋葬方法には特徴があります。手足を強く折り曲げて埋葬されているケースが多い、というのです。
これには諸説あり、死者の霊魂が生者に危害を及ぼさないようにするため、胎児の姿勢に死者を戻すことで再びこの世に生まれてくるようにするため、などが唱えられています。
埋葬されているということは、死者に対する何かしらの想いがあったからと思われますが、今の私たちのように泣いたり、お葬式のような儀式をしていたのでしょうか。
死者に何かしらの想いを抱くのは、こんなにも昔から行われていたと聞くと、私たちが悲しんだりするのは当たり前で、きっと疑問を抱く必要もないことなのでしょうね。
稲作はいつ始まったのか――実は縄文時代でも育てていたっ?
と、ちょっとしんみりさせてしまいましたが、次に行きましょう。
稲作っ?
って、弥生からって聞いた気がするんだが?
私の学生時代はそうでしたが、実は縄文の終わり際にはすでに稲作が始まっていたと研究で分かってきています。
佐賀県の菜畑遺跡(なばたけ・いせき)や福岡県の板付遺跡(いたづけ・いせき)などの九州の北部で水田が作られ始めました。
九州北部なのは中国や朝鮮半島からコメ作りの技術が伝わったためでしょう。
そしてこの後でまた文明が変わっていき、弥生時代へと突入していきます。
コメという、肉よりも長期の保存ができる食料はとあるモノの始まりでもありました。
そう。米を奪い合う、戦いの歴史が始まっていくのです。
【まとめ】縄文時代とは
- 温暖化が道具を進化させ、また土器により食料の保存が可能になり、定住化
- あらゆる『自然現象』に霊魂が宿る信仰(アニミズム)が生まれた
- 九州北部ではすでに稲作が始まっていた
最近の現代と比べるとゆっくりではありますが、旧石器時代より確実に生活が変化している、というのが分かりますね。
食べ物も肉に魚に木の実。
しかも焼いて食べてたっていうから結構グルメだ
何よりも土器のおかげで食料を貯蔵できるようになったため、定住し始めたのも大きいですね。
ほとんどは20~30人程度の集落でしたが、数百人規模の集まりもあったわけです。
当時の人々は日々、どんな会話をしていたのでしょうね。あそこの誰々さんってカッコイイよね(可愛いね)、とか今日はいい天気ですね、とか話していたのでしょうか?
仕事に対して「かったりぃな」って愚痴ってるやつがいたりしてな!
今よりも生きづらい時代ですからなかった、と思いますが否定はできませんね。
まあ集落追い出されたら一人の人間が生き残れたとは思えませんから、誰もがきちんと働いていたと思いますが。
ただ本を読むだけでなく、そんな風に思いをはせて楽しむのも歴史のいいところ。
今回の記事で、楽しみながら少しでも歴史が学べたと、そう思っていただけたら嬉しく思います。
ここまでお疲れ様でした。ではまた次回、弥生時代編でお会いしましょう! ではまた!
ここまでありがとな!
じゃあ、またな!
今回参考にさせていただいた書籍がこちら! とっても面白くてスイスイ読んじゃうのでお勧めです!
その他参考にさせていただいた資料・サイト一覧(敬称略)
北海道HP
>> 『北の縄文 - じょうもんキッズ_縄文人道具(骨角器)』
新潟文化物語
>>『file-107 国宝・火焔型土器はアートか?~縄文文化を探る旅(前編)』
suumoジャーナル
>>『現代に生きる竪穴式住居? 四本柱の邸宅にお邪魔してみた 』
コメント